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カテゴリー「That's学:薀蓄劇場」の記事一覧

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愛と感謝の花、ミモザ

出がけにBSでイタリアのミモザの花に関する番組をやっていて面白かったが、見る暇もなく出てきた。

世界で一番美しい瞬間(とき)▽ミモザ 愛を伝える魔法のとき イタリア ローマ http://www4.nhk.or.jp/sekatoki/x/2015-04-22/10/17708/

男性が女性に普段の感謝の意をあらわすため贈ると聞いていたが、イタリア発祥とは知らなかった。また、大戦後に起こった、女性の権利を護るための世界的な社会運動に端を発していることも。

国際女性デー – Wikipedia 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%A5%B3%E6%80%A7%E3%83%87%E3%83%BC

だから、もとは女性の人権活動家が、お互いの覚悟や結束を高め合うために象徴としていた花。それを男性が受け継いでプレゼントするようになった、ということらしい、もともとあったラテン系のロマンチックな色恋の習慣ではないらしいところに、逆に涙が出るほどのロマンがあるね。

まあ、ネット上でググってみると、男が女に贈る習慣が先とする異説もあって、何とも言えないのだが、番組では時代の生き証人であるイタリアの長老(おばあさん)が語っていたので、それなりの信憑性はあるかなと。

だから、恋人や妻に贈るばかりでなく、おばあちゃんや孫にでも、異性の親友へでも、何でもOKなわけだが、そこはそれ、天性の人のいいラテンすけべえ男だからメインは・・・、とは言え、ハントや告白のためというより、日頃の愛情の再確認のため、みたいな感じが、とっちゃん坊やな日本やアジアの男にはなかなか真似のできない立派さだと思う。

そういう点、日本のバレンタインデーは、告白のときめきみたいな名目で、結局はお義理の年中行事、近所付き合いの心の負担になってしまうのは、つまらないよなあ。決して日本発祥の習慣ではないのに、現在さかんな国は日本と韓国くらいらしい。なんだか馬鹿さ加減が似てる二つの国。。
 
バレンタインも西洋発祥の原型は、男が女に贈ってもいいし、もっと自由なものだったらしい。若い頃、イギリス留学生活の経験がある女性の友達からその話を聞いて、自分から贈っていたこともあるのだが、ある年、チョコ売り場のバイトの女の子に、無言ではあるが変態を見るようなもんのっすご~~い嫌そうな顔をされて、それ以来やめてしまった。

そういえば私が20代の頃の昔は、バレンタインの時期もチョコがプレゼント用にラッピングして陳列されておらず、レジに持って行って売り子の女の子にラッピングしてもらっていた。
そのラッピングがいかにも嫌っそ~~な感じで、なかなか手が進まない。嫌ならさっさと済ませてくれよと言いたかったが、向こうとしては「男のくせにチョコを贈るなんて、なんて女々しい、男の風上にも置けない軟弱野郎か、それともものを知らないタコ野郎か、自分が教えてやりたいけどバイトの身分で出過ぎたこと言えないし…」と、悶々と葛藤していたんだろうねえ。ご苦労様。

要するに、たいした伝統でも何でもないのに、こうあるべき!という同調圧力や自縄自縛が強くて、何事においても窮屈でつまらなくしてしまう、どーしようもねえところがある我が国なのさ。

女性に花を贈るイタリアの粋な記念日「ミモザの日」 - エキサイトニュース
http://www.excite.co.jp/News/bit/E1330493693794.html

かわいらしいと言うより、じかに見ると、ハッとするように鮮やかで、華やかで、艶やかな花ですよ。この世に女性がいてくれてありがとう…、という気持ちを、本当に思い起こさせてくれるような。emojiemojiemoji



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『いつも何度でも』の不思議なリズム感

宮崎アニメ『千と千尋の神隠し』の主題歌、『いつも何度でも』
3.11東日本大震災の後に、ウクライナ出身で、チェルノブイリ原発事故に遭ったナターシャ・グジーの歌声に触れて、それまで何度も聞き慣れていたはずの歌詞が、奥深く沁みいるように流れ込んできた。
同じように感じた人がいるんだなと、最近、次のようなサイトで知った。

ナターシャ・グジー『いつも何度でも』 | 散智庵の2011年08月19日の1番目の記事
http://plaza.rakuten.co.jp/sontiti/diary/201108190000/
引用)
オリジナルは木村弓のライヤーの音に耳を奪われ、歌詞のほうは印象がなかった。
観念的な言葉の羅列のように思っていた。
それが、ナターシャ・グジーの透き通った声で歌われると、俄然その深い意味が浮上してくる。
彼女の背負った運命の重さが、歌詞の輪郭を鮮やかに蘇らせた。
ナターシャの生い立ちを、彼女自身がこう語る。


↓トーク入りのYouTube映像はこちら。

いつも何度でも/千と千尋の神隠し Nataliya Gudziy – YouTube 


http://www.youtube.com/watch?v=CJp5sTNO5Nk
文字起こし引用)
人間は、忘れることによって、同じ過ちを繰り返してしまいます。悲劇を忘れないでください。同じ過ちを繰り返さないでください。そう願ってわたしは歌を歌っています。/ とっても可愛らしい曲なんですが、とっても意味の深い歌詞を持っている曲です。(演奏は4:40くらいから)


もともとこの曲は阪神淡路大震災の物語を想定して書かれたものなので、大災害から立ち上がる心象風景にぴったりなのは当然なわけだけど、それにしてもチェルノブイリのためにあった歌のようでもあり、福島を予言した歌のようでもあり…。

いつも何度でも 木村弓 - ニコニコビューア
http://nicoviewer.net/sp/sm14194183
引用)
『千と千尋の神隠し』主題歌。2001年発表。作詞:覚和歌子 作曲:木村弓 この曲が生まれた過程について「これは、『千と千尋』の前に『煙突描きのリン』という映画の企画がありまして、プロットに合わせて書いた詩なんです。地震で廃墟となった町に唯一残った銭湯の煙突に、美大生が絵を描く。その女の子が屋根の上で口ずさむという設定でした。残念ながら企画は流れてしまった。でも、スタジオジブリの宮崎駿さんから新しい映画に曲を使いたいと話があり、ああいう形で世に出ることになったのです。」作詞の覚 和歌子さんインタビューより。作詞の際、阪神・淡路大震災の事を想い、作られたそうです。


ところで今回は、『いつも何度でも』の、ちょっとだけ音楽的な詮索をしてみたい。

シンプルだけど歌うのが難しい、という書き込みを動画サイトなどで目にするが、本当にそうだと思う。
3拍子の3拍目(または3拍半目)の弱拍からフレーズの頭が入るのだが、これをまるで1拍目ダウンビートの強拍のようにして歌い出すのだ。これが不思議なリズム感を生んでいる。
この傾向は、オリジナルの木村弓さんの、ソロの生演奏版で聴くと特に顕著だ。なるほど、こういう抑揚をこめて、木村弓さんは曲を書きたかったんだな、というニュアンスが伝わってくる。

いつも何度でも by Kimura Youmi – YouTube

http://www.youtube.com/watch?v=X0tXr24PEoo&feature=player_embedded#at=15

そして驚くのは、ナターシャ・グジーさんをはじめ多くの外国人アーティストも、この変則的リズム感の抑揚を、かなり丁寧に汲みとって感情移入していることだ。

西洋音楽伝統の強迫と弱拍、ダウンビートとアフタービート、といった先入観でいると、この曲はかなり歌いづらいはず。
小節における3泊目の出だしが、むしろ古武道や歌舞伎の※「一拍子」であり、吹禅(虚無僧の尺八)の※「一音成仏」なのかもしれない。そういう民族的遺伝子を持つ日本人の木村弓さんだからこそ、こういう曲を書いたのかもしれない。

※「一拍子」「一音成仏」については、私の感覚的な理解なので、うまく解説する自信はないのだけど。
表と裏、陰と陽、先と後、強と弱…、といったアクセントの相補的な対比ではなく、全存在を賭けて無から有が生ずる時のような、「一球入魂」的な表現の仕方。二項の対位が出現する以前の「陰陽同時一拍」とでも言ったらよいか。

よく日本の演歌世代の高齢者の皆さんは、どんな曲でも手拍子すると頭打ちになってしまい、アフタービート(バックビート)=裏打ちリズムを体が受けつけない、という現象があるが、これは極論すると、全部の拍子を1拍子で打ってしまうからではないだろうか?
つまり、4拍子の中の1・3奇数拍なり、3拍子の中の1拍目なりを打っている、という自覚はなく、すべてが1拍子の1拍目なのだ。1拍ダウンビートを打って、あとはぐわ~んと余韻が残って、また次の一拍に移る。(韓国・朝鮮の伝統音楽などにも、近い感覚があるかもしれない)
ただ、これもやりすぎると単調で退屈だけど。

とは言え、洋楽かぶれの人達にはダサいリズム感の代表のように思われている日本人の1拍子リズムも、使い方しだいでは非常に斬新でミステリアスな味わいになるのかもしれない。最初から最後まで乱発するのではなく、ここぞというところで織り込むと、デジタルでは割り切れない独特の“間”とか、“無拍子”的なアドリブ感覚になってくる。

そうして、この曲をカバーする多くの外国人アーティストが、あえて(訳詞ではなく)真摯な日本語で歌いこんでいるのにも胸を打たれるのは、音と言葉を一体としてとらえているからであり、おそらく楽譜からではなく耳から、そしてハートから入ってきているからだろう。アニメの力もあるだろうけど、いやあ、音楽って凄いですね。

Itsumo Nando Demo [ いつも何度でも ] - performed by Erutan (katethegreat19) - YouTube

http://www.youtube.com/watch?v=qXXbTwL79R0&feature=player_embedded


The Glory Gospel Singers 「いつも何度でも 」 - YouTube


http://www.youtube.com/watch?v=0Vgy7ykR5U8

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プロフィール

性別:
男性
趣味:
自然と動物と路傍の花のウォッチング&タッチング、武術ミーハー(現在は太極拳)、山歩き、散歩、昼寝、妄想、隠れスピリチュアルもどき、いやいや頼まれてやる占い、比較陰謀論探索、などなど。
自己紹介:
正統派異端系、ぐうたら過激族、ちょいワル求道者

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