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『いつも何度でも』の不思議なリズム感

宮崎アニメ『千と千尋の神隠し』の主題歌、『いつも何度でも』
3.11東日本大震災の後に、ウクライナ出身で、チェルノブイリ原発事故に遭ったナターシャ・グジーの歌声に触れて、それまで何度も聞き慣れていたはずの歌詞が、奥深く沁みいるように流れ込んできた。
同じように感じた人がいるんだなと、最近、次のようなサイトで知った。

ナターシャ・グジー『いつも何度でも』 | 散智庵の2011年08月19日の1番目の記事
http://plaza.rakuten.co.jp/sontiti/diary/201108190000/
引用)
オリジナルは木村弓のライヤーの音に耳を奪われ、歌詞のほうは印象がなかった。
観念的な言葉の羅列のように思っていた。
それが、ナターシャ・グジーの透き通った声で歌われると、俄然その深い意味が浮上してくる。
彼女の背負った運命の重さが、歌詞の輪郭を鮮やかに蘇らせた。
ナターシャの生い立ちを、彼女自身がこう語る。


↓トーク入りのYouTube映像はこちら。

いつも何度でも/千と千尋の神隠し Nataliya Gudziy – YouTube 


http://www.youtube.com/watch?v=CJp5sTNO5Nk
文字起こし引用)
人間は、忘れることによって、同じ過ちを繰り返してしまいます。悲劇を忘れないでください。同じ過ちを繰り返さないでください。そう願ってわたしは歌を歌っています。/ とっても可愛らしい曲なんですが、とっても意味の深い歌詞を持っている曲です。(演奏は4:40くらいから)


もともとこの曲は阪神淡路大震災の物語を想定して書かれたものなので、大災害から立ち上がる心象風景にぴったりなのは当然なわけだけど、それにしてもチェルノブイリのためにあった歌のようでもあり、福島を予言した歌のようでもあり…。

いつも何度でも 木村弓 - ニコニコビューア
http://nicoviewer.net/sp/sm14194183
引用)
『千と千尋の神隠し』主題歌。2001年発表。作詞:覚和歌子 作曲:木村弓 この曲が生まれた過程について「これは、『千と千尋』の前に『煙突描きのリン』という映画の企画がありまして、プロットに合わせて書いた詩なんです。地震で廃墟となった町に唯一残った銭湯の煙突に、美大生が絵を描く。その女の子が屋根の上で口ずさむという設定でした。残念ながら企画は流れてしまった。でも、スタジオジブリの宮崎駿さんから新しい映画に曲を使いたいと話があり、ああいう形で世に出ることになったのです。」作詞の覚 和歌子さんインタビューより。作詞の際、阪神・淡路大震災の事を想い、作られたそうです。


ところで今回は、『いつも何度でも』の、ちょっとだけ音楽的な詮索をしてみたい。

シンプルだけど歌うのが難しい、という書き込みを動画サイトなどで目にするが、本当にそうだと思う。
3拍子の3拍目(または3拍半目)の弱拍からフレーズの頭が入るのだが、これをまるで1拍目ダウンビートの強拍のようにして歌い出すのだ。これが不思議なリズム感を生んでいる。
この傾向は、オリジナルの木村弓さんの、ソロの生演奏版で聴くと特に顕著だ。なるほど、こういう抑揚をこめて、木村弓さんは曲を書きたかったんだな、というニュアンスが伝わってくる。

いつも何度でも by Kimura Youmi – YouTube

http://www.youtube.com/watch?v=X0tXr24PEoo&feature=player_embedded#at=15

そして驚くのは、ナターシャ・グジーさんをはじめ多くの外国人アーティストも、この変則的リズム感の抑揚を、かなり丁寧に汲みとって感情移入していることだ。

西洋音楽伝統の強迫と弱拍、ダウンビートとアフタービート、といった先入観でいると、この曲はかなり歌いづらいはず。
小節における3泊目の出だしが、むしろ古武道や歌舞伎の※「一拍子」であり、吹禅(虚無僧の尺八)の※「一音成仏」なのかもしれない。そういう民族的遺伝子を持つ日本人の木村弓さんだからこそ、こういう曲を書いたのかもしれない。

※「一拍子」「一音成仏」については、私の感覚的な理解なので、うまく解説する自信はないのだけど。
表と裏、陰と陽、先と後、強と弱…、といったアクセントの相補的な対比ではなく、全存在を賭けて無から有が生ずる時のような、「一球入魂」的な表現の仕方。二項の対位が出現する以前の「陰陽同時一拍」とでも言ったらよいか。

よく日本の演歌世代の高齢者の皆さんは、どんな曲でも手拍子すると頭打ちになってしまい、アフタービート(バックビート)=裏打ちリズムを体が受けつけない、という現象があるが、これは極論すると、全部の拍子を1拍子で打ってしまうからではないだろうか?
つまり、4拍子の中の1・3奇数拍なり、3拍子の中の1拍目なりを打っている、という自覚はなく、すべてが1拍子の1拍目なのだ。1拍ダウンビートを打って、あとはぐわ~んと余韻が残って、また次の一拍に移る。(韓国・朝鮮の伝統音楽などにも、近い感覚があるかもしれない)
ただ、これもやりすぎると単調で退屈だけど。

とは言え、洋楽かぶれの人達にはダサいリズム感の代表のように思われている日本人の1拍子リズムも、使い方しだいでは非常に斬新でミステリアスな味わいになるのかもしれない。最初から最後まで乱発するのではなく、ここぞというところで織り込むと、デジタルでは割り切れない独特の“間”とか、“無拍子”的なアドリブ感覚になってくる。

そうして、この曲をカバーする多くの外国人アーティストが、あえて(訳詞ではなく)真摯な日本語で歌いこんでいるのにも胸を打たれるのは、音と言葉を一体としてとらえているからであり、おそらく楽譜からではなく耳から、そしてハートから入ってきているからだろう。アニメの力もあるだろうけど、いやあ、音楽って凄いですね。

Itsumo Nando Demo [ いつも何度でも ] - performed by Erutan (katethegreat19) - YouTube

http://www.youtube.com/watch?v=qXXbTwL79R0&feature=player_embedded


The Glory Gospel Singers 「いつも何度でも 」 - YouTube


http://www.youtube.com/watch?v=0Vgy7ykR5U8

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